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BE HAPPY, BE BRIGHT , BE YOU .
ようこそ、愛子先生のキッチン・ガーデンへ。

Balance the body and soul
私のからだが、私自身であるために。
RIKKA ライフバランス・クロストーク

Today’s Guest
グラフィックデザイナー 松永 玲さん

大阪の郊外・北摂の住宅街にある小さなキッチンスタジオ。
ハーブが生い茂るお庭のあるそのスタジオには、時折、巷で忙しく活躍する大人の女性たちがほっと一息つくために訪れます。
このキッチンスタジオの主人は、”愛子先生”とみんなから呼ばれ、親しまれる陽気でちょっとお茶目なマダム。
さて、本日のお客様は元バレリーナというだけに、すらりと伸びた手足が美しい女性です。
彼女は激動の文化大革命真っ只中の中国に生まれ育ち、ヨーロッパでインテリアデザインを学んだのち、単身日本にやって来たのだとか。
そんな物語のようにドラマチックな彼女の人生について、愛子先生お手製のハーブウォーターでもいただきながら、ゆっくりと語っていただきましょう。

13歳からプロのバレリーナの世界に

愛子)お久しぶりね。今日はあなたのことを根掘り葉堀り聞きたいと思ってお呼びしました。覚悟してね(笑)。さて、まずバレエはいつから始めたの?

松永)7歳からバレエを習い始めました。中国の大きな街にはそれぞれバレエ養成所があって、私は自分の街でオーディションを受けて入りました。学校が終わると毎日のようにそこに通ってレッスンという日々を13歳ごろまで過ごしました。

愛子)きっと特別な才能があって体格もバレエに向いていたのね。私は運動したことがない人だから羨ましい。私はこう見えて、小さい時ずっと病気の人やったんですよ。リュウマチ熱という病気でね。それに心臓も悪くて、体育の授業を大学卒業まで受けたことがなかったんです。

松永)いつも元気な先生が!?そんなにお悪かったんですか?

愛子)いえいえ、運動以外は普通に暮らしていましたよ。お稽古事も日舞は大好きでずっと続けていました。日舞は体幹が鍛えられるからバランス感覚は養われたと思います。松永さんはそこからプロになられたんでしょう?

松永)はい。13歳までは練習生で、そこからは正式にバレエ団のオーディションを受けて国家公務員になるんです。プロの世界には7年間、13歳から20歳までいました。バレエ団は全寮制で規律がとても厳しかったのを思い出しますね。それからは練習、公演の繰り返しの日々を送りました。

ドイツ留学を経て日本の美術大学に入学

愛子)バレエが好きだったのね。でもなぜ20歳の時にやめたの?まだまだバレリーナとしての未来はあったでしょうに。

松永)私が20歳になった頃、父から「いつまでもバレエを続けられるわけではないだろう?将来のために何か他のことも勉強しなさい」と言われました。実際、バレリーナとして常に第一線に立ち続けるには、いろいろなことを犠牲にしなければいけないし、容易なことではないと私も感じていました。父は建築インテリアの仕事をしていましたので、とりあえず私もインテリアでも勉強してみようか…ぐらいの軽い気持ちで天津美術大学のインテリア学科に入学しました。

愛子)30年前の中国でインテリアというと最先端のジャンルよね?

松永)そうですね。さらに交換留学生の募集があったので、それからドイツに留学して勉強を続けました。

愛子)ドイツ語はしゃべれたの?

松永)最初はしゃべれませんでした。でも当時は若かったので怖いもの知らずでしたよ。留学した当初は50ドルしかお金を持っていなくて、それでどうにかなると思っていたんです。ドイツは授業料がいらないのですが、逆にアルバイトをさせてくれなかったので貧乏学生でした(笑)。

愛子)そこからまた日本へ来たんですよね。多摩美術大学ですよね。入学するのは難しかったでしょう?

松永)大変でした。まずは日本語学校に入学して10か月間日本語を習った後、美大を目指しました。入学には論文が必要だったので猛勉強して受験。自分では受かったとは思ってなかったのに一発で受かってとてもびっくりしました。

愛子)それからどこかで働いたの?

松永)それからは広告代理店でアルバイトをして学費を払いながら、2年でどうにか卒業しました。その間にアルバイト先で元の主人と出会って、卒業したら結婚しましょうということになって…彼の実家が大阪だったので、結婚して以来ずっと大阪住まいです。

離婚、子育て、そしてグラフィックデザインとの出会い

愛子)中国を一人離れてっていうのは、ほんまに立派。それで日本でご主人と結婚だなんてドラマチックやわ。で、結局あなたはそれから何年間結婚してたんでしたっけ(笑)

松永)6年です。

愛子)わりと、早くあきらめたんやね(笑)

松永)そうなんです。やっぱりね、日本語の言葉の綾っていうのは、私にとって非常に厳しいものでした。言葉の裏の意味とか、タテマエとか。そこからお互いの理解に微妙なずれができて、だんだん心が離れてしまったのだと思います。

愛子)ご主人と別れて出ていく時、自分で食べて行こうと思ったの?

松永)当時は彼の仕事を手伝って事務や経理をしていたので、出ていく時はもう裸みたいなものでしたね。

愛子)不安はなかったんですか。

松永)もちろんありましたよ。それに離婚してもお金はいらない!と思っていましたが、実際の生活ではそういうわけにもいかないですし。だから工場でも働いたし、旅行会社でも働いたけど、結局どちらもあまり好きな仕事ではなかったんです。自分が好きなものじゃないと続けられない。それで結局はコンピューターが好きなので、そこから独学でグラフィックデザインを学びました。

愛子)今はデザインのお仕事もされて、時々モデルもされて、ご活躍で本当に良かったわね。ところで、その素晴らしい体型はどうやって維持されているのかしら?

松永)毎朝運動しないと気が済まないタイプなんです。やはり50歳越えたら体のことがすごく気になりはじめて。運動というよりはストレッチなんですが、しっかり1時間ぐらいかけてやるんです。美容面ではシミやシワやたるみは気になりますよね。なので朝、2匹の犬を散歩させるとき、顔の筋トレをするんですよ。ちょっと大きい声でね、あ・い・う・え・おを言いながら歩くの(笑)。エステサロンとか行ってる時間もないですからね。後はお風呂入るときに頭皮マッサージもやっています。

愛子)うわ、ちょっと私は遅すぎた!

松永)いや、ぜんぜんそんなことないですよ。いつからでも遅くはないんです。私はそうやって運動したり、マッサージしたり、セルフで自分自身をケアすることはすごく楽しいですね。

愛子)私ね、主人が亡くなったときに追悼の意味を込めて本を一冊書いたんだけど、その時に書くことに熱中しすぎてほんまに背中が丸くなったのね。今はストレッチとかでだいぶとマシになりましたけれど。さらにその後、大腿骨を骨折して置換してるんです。だからやってはいけない姿勢があるので、それさえ守っていれば大丈夫なんですが、完治後に私みたいに動かせる人は少ないみたいよ。手術の後、1週間で家に帰ってきて以来、ずっとウォーキングは欠かさないで来ましたよ。

いつも自分を見つめて、ブレないこと。

松永)それは素晴らしい。私ね、先生のフェイスブックを見ているとすごいエネルギーが溢れていて、いつも感心しています。だから私、先生のおかげで年齢を重ねることは全く怖くないです。

愛子)もうあと半年で70歳になりますけれど、私なんか最近歳を取るごとに褒められる(笑)。40歳で健康は当たり前。だけど、歳いくと健康なだけで褒められる。だから、歳いくのは得かも(笑)。

松永)そうですよね。歳を重ねる毎に深まるキャリアとか、そこから来る人間性なんかは、表面的ではなく中から出てくるもの。それって絶対に真似出来ない、その人の生き方そのものですから。

愛子)あなたは今、お仕事もして、それで、2人のお嬢さんたちも育て上げて、まだまだ、これからね。今すごく生き生きしてるわよ。

松永)本当ですか?たまに内緒で泣いてる時あるんですけれど(笑)。犬をベッドで抱きながらね。そしたら、犬は全部わかっていて、ママ大丈夫?って感じで舐めてきますね。

愛子)私ね、大好きな3つの言葉があるの。女性って“幸せになる”というよりは、「BE HAPPY」=自分でどう“幸せを作っていくか”ということが大切なの。普通に生活してても幸せかどうか分からないものだから。その次に大切なのが、「BE BLIGHT」。この言葉には、明るいっていう意味ともう一つ賢いって意味もあるからね。そして、最後の一つが「BE YOU」。あなたらしく生きるという意味。この3つの言葉は、これからの女性のテーマかなと思いますね。

松永)私が大切にしているのは、ブレないこと。私の行いは常に子どもたちに見られているので、絶対に自分がブレないようにはしていますね。前向いて、自分はちゃんとこうだ、と信じる方向に向かって努力する。誰に何を言われてもぶれないし、気にしない。何か言われたとしても、誰にも迷惑かけてないんだし、いいじゃないですか?という風に考えていますね。これが私ですって感じで、人目は一切気にしないですね。楽しくやることが何が悪い?って思います。

愛子)日本っていうのは村社会だから、だいたいその世の中についていきたいと思う人が大半。松永さんは世の中を広く渡ってこられてるから、何もかもが大陸的でダイナミックね!

松永)小さい事を気に病んではいられません。気にしていると前に進めなくなります。なにか大きい目標があると、そこに向って脇目もふらず直進するタイプですから。日本にきた時は一人でしたけれど、今では大勢の友達に囲まれていて幸せです。私が日本の一番感心してる部分というのは、心遣い。とにかく優しい。人に対する思いやりが世界の中で一番の民族だと思っています。

愛子)松永さんも、そうやって頑張ってたらストレスとかも多いでしょう。そんな時おすすめなのが、このハーブウォーター。マスカット&バジル、ミント&パイナップル、そしてローズウォーターの3種類。こうやってボトルにハーブとフルーツを入れてミネラルウォーターを注ぎ、冷蔵庫に入れておくだけ。リフレッシュにはぴったりよ。

松永)え、じゃ自分で作れるんですか。すごいフレッシュで爽やかな口当たり。香りが気分を高めてくれますね。

田中)欧米では、頭痛になった時に飲んだり、炭酸とシロップで割ったりして飲みますね。ハーブって簡単に育てられるから、お庭に植えておくととても便利ですよ。

松永)私、本当にいつも先生見て頑張らないと、と思っています。本当にいつも励みになります。

田中)何で元気なんかわからんけど、元気に毎日を楽しんでるわ。松永さんも50代は青春やから、これから楽しんでね。

松永)ありがとうございます、頑張ります!

Profile Rin Matsunaga(写真左)  
松永 玲 スタジオQ代表 / グラフィックデザイナー / モデル

中国出身。13歳よりプロのバレリーナとして活躍。その後、ショーモデルや雑誌モデルなどを経て中国天津美術大学、ミュンヘン美術大学などでインテリアデザインを学び、来日。多摩美術大学を卒業。その後、独学でグラフィックデザインを学び、現在はデザイナーとして大手百貨店のインバウンド関連のツールなどを手がける他、モデルとしても活躍中。


Profile Aiko Tanaka(写真右)
田中愛子 大阪樟蔭女子大学教授/フードアクティヴィスト/リスタクリナリースクール主宰
大阪に生まれる。大阪樟蔭女子大学英文学科卒。結婚後、料理家・吉岡昭子氏のもとで日本伝統の家庭料理の基礎を学ぶ。その後夫の仕事でニューヨークを起点に世界各地へ渡航。ニューヨーク五番街でセレブリティに愛された伝説の日本食レストラン「神話」の経営に携わる傍ら、世界の家庭料理、食文化を研究する。帰国後、料理学校「リスタクリナリースクール」を開校。2009年「食育ハーブガーデン協会」を設立。2011年大阪樟蔭女子高校教育アドバイザーに就任。2015年4月には大阪樟蔭女子大学教授に就任。日本の大学で初の「フードスタディ」専門コースを開講。教育活動とともに自らの研究活動、著作活動を積極的に行っている。
NHK「きょうの料理」への出演ほか、食のエッセイや海外取材などメディアでも活躍の場を広げている。著書多数。

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